博多町屋について

博多町家について考えてみる。

旧糸島郡前原に残る商家 西原家は、明治34年の大規模な町屋建築で、土間から二階への吹き抜け空間が大きく、朱塗りの欄干が特徴的な建物である。この吹き抜けの作りは珍しいものと思っていたが、櫛田神社前の博多町屋ふるさと館に行った際、同じような朱塗りの欄干が二階に使ってあったので、少し気にするようになった。次に、福岡市東区馬出の箱嶋邸に入ったとき、小規模ながら吹き抜けに朱漆の欄干があり、すぐ下には荒神様が祭ってあったので、これは、博多町屋の特徴なのかもしれないと考えるようになってきた。そして、決め手は、津屋崎の豊村酒造であった。ここの店の間を覗かせてもらった際、吹き抜けに朱漆の欄干、神棚、納戸の戸にも朱漆であり、この/瓩抜けの二階に朱漆の欄干がある。△垢芦爾惑叱佑覇韻舷Г播匹蕕譴討い襦2爾虜舵澆砲録醒が祀ってある。この共通する作りを発見した。その後、訪れた早良区金武の町屋も同じであった。そして、共通するのは建築年が明治34年前後であるという事。建築史を学んではいないが、明治30年代半ばに博多で流行った博多町屋は郊外に残っていることが分かった。

糸島市前原 旧西原邸

福岡市博多区 博多町屋ふるさと館

福岡市東区馬出 箱嶋邸

福津市津屋崎 豊村酒造

金武 ギャラリー花うさぎ
 

 

 

 

 


書いた絵を額装してもらった話

筑紫野市教育委員会が発行する『ちくしの散歩』に2004年に「山家宿の御茶屋」というタイトルで書かせてもらった。その際、間取り図しか残っていない御茶屋の姿をどうにか表現したくて、御茶屋の復元鳥瞰図を描いた。今から10年も前の話である。思い返せば一番最初に触れた印刷物がそれであった。その際、何度も何度も修正を重ねてようやく描いたのがこの図であった。絵具でも色鉛筆でもうまくいかなくて、水彩色鉛筆という色鉛筆で書いて水筆でなぞると絵具ような風合いになるというのが自分に一番しっくりきて、それで書いた一枚であった。
この思い出の絵はパネルに貼って保管していたのだが、落とすたびに角が丸くなるし絵を保護するものもない。それに展示するにも額に入ってないのでかけることもできないでいた。

そんなとき、糸島の二丈浜窪にハナトライフという額装を専門に行うお店があり、思い切って額の制作を頼んでみたのが年末の29日。「この絵にある額をお願いします」と頼んだところ、数ある額縁の中から絵の雰囲気にあった縁の選定から、余白に入れるマット紙の色や材質などを選定し、さながら掛軸の表装をしに表具師の所へ来たような感じであった。

こうして絵が生きるように選ばれて出来上がったのが下の写真である。古材のような雰囲気の額縁に少し緑がかったマット紙をあて、内側には金の縁が入っている。江戸時代末より明治・大正にかけて隆盛を極めた文人や南画家と云われた人たちは、自分で描いた絵を表装してもらっていたが、掛軸の絵を描くことが少なくなった現在、額装してもらいにいきさながら文人の気分を味わったのであった。



 

古間取野帳 コマドリヤチョウ

私は、古い間取り図を方眼紙に落として書いていくのが好きで、気に入った古い間取り図があると記録するようにしています。建築学部を出た訳ではないので建築の専門の方につっこまれると困るのですが好きで書いています。昔あった建物や、やむなく解体されていまう建物など、もったいなくて間取り図だけでも残しておきたい!という衝動に駆られ書くようになりました。また、歴史を想像するのに、建物の平面図があったらより具体的な想像が出来てとても面白いです。名前の由来は、野帳という3mmの方眼の手帳に書く古い間取りだから「古間取野帳」です。


甘木御境目奉行役宅
日田街道沿いにある甘木宿の四重町にあった奉行の役宅。絵図をよく見ると裏に旧図が描かれていたので二つ並べて書いてみた。天保三年に建て替えられたという。福岡藩領と豊前との御境目を受け持っていた御境目奉行が駐在した。

姫島定番役宅(岡定番)
玄界灘に浮かぶ姫島に置かれた定番役宅。姫島には2軒の役宅が置かれ、そのうち岡側に置かれた役宅。丘の上にあるので通称、岡定番と呼ばれていたそうだ。野村望東尼救出の際、この役宅に救出に来た旧福岡藩士藤四郎が訪れ、定番坂田と問答をしているすきに望東尼が救出されたという。廃止後にこの役宅は姫島小学校の敷地となる。


姫島定番(浜定番)
姫島に置かれた定番役宅のうち、浜側に置かれた役宅。姫島神社の正面を右側に小道が伸びるその先にあった。絵図には定番桑野喜左衛門と記されているが、彼は慶応元年に流罪となって姫島に流されることとなる野村望東尼の実弟であった。

内野宿町茶屋


箱崎町茶屋
町茶屋とは、大名や一般の旅人が宿泊した半官の施設で、箱崎町茶屋は箱崎宿のほぼ中央の馬場町にあった。普通の旅籠と違い表門と式台を備えている



宰府御造営奉行役宅
太宰府(安楽寺)天満宮とその門前町を管理した奉行の役宅。現在の小鳥居小路と連歌屋の角にあった。




前原代官役宅
福岡藩領前原宿代官役宅西端にあった前原宿にあった代官役宅。前原代官は、御茶屋奉行兼御境目も受け持っていたため、筑前六宿以外の奉行が御茶屋奉行と呼ばれていたのに、前原は特別に代官と呼ばれていた。



山家宿代官役宅
長崎街道筑前六宿の一つ山家宿の代官所。建坪が約50坪近くあり役宅の中では最大規模。代官は、藩主の別邸である御茶屋と宿場と通行する大名らの送迎を職務とする


箱崎御茶屋奉行役宅


脇山御境目奉行役宅
那珂川のセブンミリオンゴルフ場のすぐ近くに脇山村野田という集落がある。そこにあったといわれる御境目奉行の役宅。野田集落の正面には脊振山がそびえる。福岡藩では元禄五年より脊振弁財嶽国境争論があり、ここの御境目奉行はこの関係もあって設置された。

※ここに掲載している図は福岡藩御用大工を勤めた林家文書にあったものです。

 

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