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  • 2016.10.30 Sunday
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前原の郵便取扱所

旧西原家の建物を活用している「前原古材の森」
ちかごろは、すぐ近くの前原郵便局の方々がたびたびお食事に来られます。
今回は、前原の郵便についての小話を一つ。
明治4年、日本で郵便制度が発足し、各地には現在の郵便局にあたる「郵便取扱所」が設置されました。しかし、公の施設とはいいながらも、地元の民間の有力者がその管理人に任命され、自宅を郵便取扱所としました。そのため、郵便業務は、自己負担により相当な財力がないと勤めることができませんでした。
さて、福岡ではどうだったでしょうか。一つ例を挙げると、江戸時代に九州の幹線道路として発展した長崎街道の各宿場に郵便取扱所が設置されましたが、その管理はほとんどがかつて町茶屋(大名や旅人が泊る宿、東海道では脇本陣にあたる)を経営していた家が請け負いました。
前原ではどうでしょうか。前原では、江戸時代豪商として相当な財力を築いてきた「西原家」が郵便業務を請け負いました。

右手前の建物が西原家の郵便取扱業務を行っていた建物です。
入口には〒マークを染め抜いた幕が張られています。

入口前の荷馬車。荷物の上には〒の旗が立てられています。

郵便取扱所の人々  中央に座っているのが所長の西原氏

坂の上の雲

 昨日NHKで司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』が放送されていた。
この小説の舞台は、明治30年代で、古材の森の建物である綿屋(旧西原家)が建設された時代と重なる。これまで綿屋建設に関わる古写真をたびたび紹介してきたが、そのガラス乾板約200点の中には明治38年の日露戦争に関係する写真も多く見られた。今回はその一部を紹介する。


旧糸島郡公会堂前の階段で撮影された将校らの写真

前原尋常小学校での集合写真

綿屋前を通る戦勝記念パレードの行列か

凱旋門(この奥に会場がある)

日露戦争記念式典の会場

会場の様子(竜胆の紋が入った幕が張られている)

会場内(神官席や僧席など参列者の様子)

奥に見える忠霊塔は、日清戦争のときに建てられたもので、その後、日露戦争の忠霊塔が隣に建てられる。場所は、前原東公園といって積文館前原店の西側にある丘にあった。現在は宅地化されていて面影は全くない。

明治の前原宿

先日は、志摩町の福祉センター「ふれあい」で志摩町主催の「志摩町民大学」の講義をしました。参加者は平均70代でしたが、みなさん真剣に聞いておられました。
唐津街道と前原宿についての話を約1時間半しましたが、なるべく飽きさせないように工夫して作ったスライドが大活躍しました。

明治33年頃の旧前原宿地図
今日は明治時代の前原について紹介しましょう。
前原宿は、明治3年の宿駅制度廃止で宿場としての機能を一時失います。宿場を管理していた代官・下代も廃止され、それに代わって新たに取締添役と下役を設けました。
旧前原宿には
  取締添役 加幡軍次 (役料 14俵)
  下役   津田勢平 (役料 12俵)
  下役   岡部正次郎(役料 12俵)の三名が任命されました。
この中で取締添役に任命された加幡軍次という人物がどのような人物であったか。偶然発見した資料によると、彼は、福岡藩の直接の家臣ではなく、福岡藩家老の隅田主膳の家臣であったことが分かりました。隅田家は、知行地(自分の土地)を現在の前原市井原に持っており、加幡は、おそらくこの井原や福岡城下の隅田家に勤務していたのではないかと考えられます。また、慶応元年(1865)、福岡藩の勤王派が弾圧された『乙丑の獄』で家老加藤司書は、隅田家にお預けとなりますが、その時に加藤家から隅田家まで加藤の乗った駕籠を警備していたのがこの加幡軍次でした。その他、戸数は少し増えて176戸になりました。この中には士族が25戸、お坊さん1戸、平民150戸でした。
それまで福岡藩主の別邸であった御茶屋は、明治4年に廃止されて明治7年から前原小学校となりましたが、前原小学校100年誌によると、御茶屋をそのまま使った藁葺の校舎は、雨が降ると雨漏りがするため、先生も生徒もとんごう笠をかぶって授業を受けたといいます。
その他、それまでの問屋場などに代わっていろいろな会社ができました。
通運会社  高井藤九郎
郵便取扱所 時枝善七
酒製造   徳丸源三郎(96石)
醤油製造  西原藤三郎製(75石) 
酢製造   西原藤三郎製(15石)
生蝋製造  西原藤七製 (7千斤)
蝋燭製造  西原藤七製 (1050斤)
瓦製造   小金丸兵次製(1万枚)
菓子製造  末松儀平製 (200圓)
飴屋    三戸    
種油    四戸   (12石7斗5升)
中でも綿屋西原家は醤油・酢・生蝋・蝋燭など大きな商いをしていたことが分かります。菓子製造とある末松儀平は、近年まで末松菓子店として営業していました。ここで暮の大安売りの時のみ出されていた「栗まんじゅう」は最近前原名店街の「よりあい処」で金・土・日に復元されて販売されています。

明治33年頃の旧前原宿


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