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福岡藩士の領境調査

これは福岡藩の家老吉田家の伝記に記されていたものです。当時、現在の前原・志摩・二丈周辺は、福岡藩領・中津藩領・幕府領が入り組んでいましたので、その領地境はとても重要でした。江戸時代を通じてこの領地境問題でどこの藩でもかなりもめています。

 寛政13年(1801)、11月7日、吉田経年は、西部御境目見分として上野小八・広羽八之丞の2人をお供に、午前5時ごろ福岡城下を出発しました。上野小八(18石4人扶持)は、福岡藩の無足組に属し記録方・境目引切請持という役職でした。文化9年(1812)に伊能忠敬が福岡藩を測量した際、御境目受持・御祐筆頭取として伊能忠敬に随行した人物です。
広羽八之丞は、福岡藩の城代組に属する分間方を家業とする七人扶持御二十石の藩士です。分間方とは、測量によって藩の境界を正す役職です。

1日目
周船寺村の大庄屋宅に昼休みして、雷山・筒原・筒滝御境筋・城ノ口・三坂の盗人塚まで見分し、この日は三坂村に宿泊しました。
2日目
曽根原から井原までの御境筋を見分し、波多江村で昼休み、篠原村の白原・鎌越原・多久村の芝崎・高峰・荻浦井樋堰まで見分して前原宿の町茶屋に宿泊しました。
3日目
その翌日は、辺田・船越の海境を見分、船越の八代龍王神社前から岐志まで船で渡り、芥屋村で昼休み、この日は野北村に宿泊
4日目
そのまた翌日は桜井を通り、宮金穴・桜井の井戸を見物して西ノ浦では海の方を見分して西ノ浦で昼休、この日は今宿で宿泊
5日目
翌日は姪浜で昼休みをとって夕方4時頃帰宅しています。

※地元の人からの聞き取りで、三坂の盗人塚は現在の三坂交差点辺りだったそうです。そこには墓があって家を建てるとあまりうまくいかなかったそうです。


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  • 2018.10.20 Saturday
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