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箱崎御茶屋

 今回は、唐津街道の宿場であった箱崎宿に存在した、福岡藩主の別邸「御茶屋」について書こうと思います。箱崎御茶屋の利用は、福岡藩主が参勤のため江戸に向かう際、福岡城を出て箱崎八幡宮に参詣し、その後御茶屋にて装束を改め出発したり、船で参勤する場合風待ちのため滞在したり、唐津街道を通行する大名の宿舎として利用されました。
文政八年、薩摩藩主島津斉興がそれまで通行していた長崎街道を通らずに、二日市ー博多ー箱崎ー青柳ー赤間のいわゆる内宿通りを通行してからは、九州の諸大名が長崎街道を通らずに唐津街道を通行するようになったため、箱崎御茶屋の利用は増したと考えられます。
 安政五年十月に幕府蒸気船二艘が博多へ乗り込んだ際には、この箱崎御茶屋においてオランダ人に歩繰を見せたり、御酒肴を出したりしました。この中には、当時、伝習方にいた勝麟太郎(勝海舟)もいました。そして、慶応二年(一八六六年)には、長崎のトーマスグラバーを箱崎御茶屋でもてなしたり、三条実美ら五卿への応接など、幕末期にはこの箱崎御茶屋で様々なことが行われています。

これまで、箱崎御茶屋についてあまり詳細には分かっていませんでした。
しかし、鹿児島県歴史資料センター黎明館に所蔵する古文書の中から絵図面を発見しました。
おそらく、箱崎を通行の際、薩摩藩主の宿泊所としてどのような間取りになっているか把握しておく必要があったため、鹿児島の侍が持っていたと思われます。交通史って、遠く離れた場所から資料が発見されたりするので面白いです。

御茶屋跡は、唐津街道から西側へすこし引き込んだ場所にあり、約70×50メートルの長方形の敷地で、周囲を練塀で囲っていたことが絵図によってわかります。門は二ヶ所あり、南側に表御門、東側の門は表門と書かれていますが、御臺所門と思われます。建物は南向きに建てられており、玄関や使者之間、御居間や御寝所。そして台所や湯殿などかなり広い建物であった事が分かります。特徴的なのは、西側に別棟の「御亭」が設けられていることで、御茶屋の主屋とは渡り廊下で繋がっていました。そして、この御亭のすぐ西側には箱崎浜が広がっていたと考えられ、茶の湯など遊興に使用されたと考えられます。御茶屋があった場所は、地元で御亭と呼ばれており現在は御茶屋跡という地名になっています。また、茶屋小路や古御茶屋などの地名も残っています。

明治33年日本陸軍測量地図
網屋町から九大医学部の敷地を通り唐津街道に合流する道が見えます。


左側にあるのが別棟の御亭 すぐそばに箱崎濱が迫り、周辺は松林であったと考えられます。

御亭とは、遊興のための小さな亭で、写真のような建物だったと思われます。
※写真は、備中足守の近水園にある吟風閣


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  • 2018.06.14 Thursday
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