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海賊たちの城

作家 白石一郎の著書に『海賊たちの城』という短編小説がある。
かつて瀬戸内水軍のひとつで、伊予の来島を本拠地としていた来島氏は、豊臣秀吉の配下となり朝鮮出兵では、水軍の将として参戦したが、関ヶ原では西軍についたため流浪の身となっていた。
その後、福島正則らの仲介によって一命はとりとめたものの、海とは無縁の豊後国玖珠・日田・速見の内、1万4千石の小大名となってしまった。徳川幕府の基本政策の一つに「水軍絶滅」があり、織田・豊臣の水軍である熊野の九鬼氏が丹波の山中に移封されたように、瀬戸内村上水軍であった来島氏も豊後の山中に移封されたのである。その後、来島氏は、二代藩主通春の御世に「久留島」と改め、久留島氏を藩主とする豊後森藩が成立したのである。
さて、万石未満の小大名は、城を持つことが許されず、その居所は「陣屋」と呼ばれる館であった。しかし、8代藩主通嘉が文政四年(1821)から天保四年(1884)にかけて、陣屋の背後の三島宮を改築するという目的で城を築いてしまったというのがこの小説である。
以前、この話に非常に興味を持って、遠く玖珠まで何度も足を運んだ。豊後森という小さな城下町の一角に三島公園という特に何もない公園があって、かつては、そこに陣屋が存在したのだが、現在は、庭園などの遺構が残るのみであった。しかし、小説通り、三島宮のあちらこちらに三重の石垣や、櫓跡、高石垣や城門などが配置され、天守に見立てられた栖鳳楼という二階建ての茶室があってまるで小さな城を思わせる神社であった。
神社の裏にある大手門を思わせる清水御門

石垣で造られた御長坂という三島宮参道

藩主御館の庭園

八代通嘉が建てた栖鳳楼。紅葉の御茶屋ともいわれた楼閣である。

末廣神社から直接入ると二階部分になる。崖を利用して二階に直接
入れるようなつくりになっている。

江戸時代の僧 不退堂によって揮毫された栖鳳楼の額がかかっている。

城づくりの神社で天守閣に見立てられてつくられたこの建物からは
森城下が見下ろすことができる。

明治に玖珠郡役所となった旧藩邸の古写真(明治29年)
正面の山の上に建っているのは栖鳳楼。その右下奥に見える茅葺の建物が郡役所。
右端の建物は郡役所の付属舎、左側の瓦葺の建物は登記所、右手前が末広神社の御仮屋である。

陣屋は、廃藩置県後に大部分が解体されたが、明治期に一部を玖珠郡役所として利用された。
この写真は、もと遠侍と呼ばれる侍の詰め所であったという。昭和10年頃より幼稚園として利用された。

右端に見える屋根が栖鳳楼、左端が三島宮。幾重にも重なる石垣が見える
※古写真は、玖珠郡史より転載

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