<< 町田久成を訪ねて | main | 蓮池陣屋〜佐賀蓮池鍋島家〜 >>

雷山古道を歩く

 糸島の南側には、背振山系の山々が連なります。その中の一つに雷山があります。
かつて山中には300もの僧坊があったと伝えられ、蒙古襲来の際には祈祷所として朝廷や幕府から直接祈祷依頼がきていた場所です。現在、雷山千如寺大悲王院には、鎌倉時代の作と伝えられる約4mもある千手千眼観音や数々の仏像が安置されており、多くの参拝でにぎわっています。
さて、かつて雷山の中心地は現在の雷神社(いかづちじんじゃ)のある場所でした。そこには、大きな講堂があり、千手千眼観音をはじめ多くの仏像が安置されていました。普段、この仏像を拝むことはできなかったそうですが、御開帳の際には多くの参詣者が訪れたようです。嘉永7(1854)年、10数年ぶりの御開帳の際には有田村からの参道の両側には茶屋や見世物小屋、芝居小屋が立ち並び、近国から10数万人の参詣で賑わい、1ヶ月間は参詣の宿泊客で賑わったといいます。現在でも、千如寺から雷神社に向かう道が残っています。私はこの道を雷山古道と呼ぶことにしています。

雷山古道のスタートは、雷山千如寺大悲王院です。明治初年の神仏分離で廃棄された千手観音は千如寺に移動したので、現在はこの場所に観音様があります。まず、ここで千手千眼観音を拝観して出発します。また、現在千如寺の境内には、かつて雷山の下宮であった笠折神社の跡があります。

笠折神社があった場所にはお社はありませんが、その隣にあった「風穴」が残っています。藁で封印された風穴は、かつて神風を吹かせたといわれ、これに触れると、糸島市志摩芥屋にある芥屋大門より大風が吹くといわれています。

笠折宮跡を見学したあとは、いよいよ雷山古道を歩きます。千如寺の角にある庚申塔を目印に、川に沿って登っていきます。

途中には、近年まで残っていた僧坊の一つである宝池坊のあとがあります。現在は石垣のみが残り、付近は杉林と化しています。ちなみに、宝池坊の扁額は、千如寺で観音様を拝む際、その入口付近に掛けられているので注意して見て見てください。

かつての宝池坊(糸島郡誌より)

古道は雷山村の跡を通ります。現在ここには昔からの人は住んでおらず、その跡地は畑や田んぼとなっており、現在雷山地区で出荷されている竜胆の畑が良く見られます。

古道のほとんどがアスファルトで整備されていますが、少しの部分だけ昔の面影を残しています。道の途中には、香合石や白蛇石などを見ることができます。

水量は少ないですが、古道のそばを流れる川は清冽な流れです。

そうして、ようやく中宮に近づくと、石段が見えてきます。これを登ると中宮に到着します。しかし、この石段は明治時代に整備されたもので、本来は川に沿って、現在雷神社の正面左側から入っていました。

いよいよ中宮に到着です。明治になって下宮の笠折神社は雷神社に合祀されました。現在雷神社の鳥居はかつて笠折神社の鳥居を移築したものです。

明治以前の中宮の様子を筑前国続風土記附録の挿絵によって見ることが出来ます。正面の大きな観音堂に、現在千如寺にある千手千眼観音が安置されていました。観音堂の左側にある中宮と書かれているのが現在の雷神社です。仲ノ坊は駐車場辺りにあったと思います。(筑前国続風土記附録より部分)

雷神社の拝殿から見た観音堂の位置です。

現在の入口は鳥居の部分ですが、かつての正面は写真右側で、中宮に入ると正面に大講堂が見えたはずです。

中宮には、観音堂の脇にあった杉(千年杉)が残っています。おそらく当時の事を知っているのはこの二本の杉だけです。蒙古退散の祈祷があげられていたおおよそ700年前、この杉は大講堂の脇にあって、その様子を見ていたのでしょう。


 


コメント
コメントする









calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>
selected entries
categories
archives
recent comment
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM