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唐津藩主の駕籠立場 立花峠

参勤交代の行列は、小休(休憩)と野立(トイレ休憩)、昼休、宿泊を繰り返しながら道中を進んでいく。小休の際、殿様が乗る御駕籠を置いて休んだ場所が駕籠立場である。駕籠立場は、行列が通る数日前に周辺の村人達によって用意され、その構造は、土を6尺×4尺(約1.8m×1.2m)ほどの長方形に盛り上げて土俵のようにしたもので、周囲を柴垣が囲み仮設のトイレや茶屋を設けたものもあった。殿様の乗物である御駕籠をその辺に置くことはできないので、駕籠を置くため専用に作られた設備であった。
さて、前原宿を西へ向かうと、唐津街道は深江宿を通過し福井・吉井浦の中を通る。ここまでは、おおよそ国道202号線に沿うように街道は通っていたが、ここから先は海沿いではなく鹿家村の方へ山中を通ることになる。この峠を立花峠と呼び、頂上付近には「駕籠立」という地名が残っているという。唐津城下を発駕した唐津藩主は険しい山道を登ってきてここで小休止したといわれている。天正十二(1584)年、肥前松浦の波多三河守の軍勢2千人と、高祖城の原田信種率いる1万5千の軍勢が激突したのもこの峠付近だという。一昔前まではこの峠の西側にある鹿家村の子供たちはこの峠を越えて福吉小学校まで通っていたということが、小金丸輝さんの『ふるさと歳時記』(糸島新聞社)に述べられている。

福吉浦(福井浦・吉井浦)を過ぎると街道は峠越えの道となる。

峠の頂上付近からは志摩郡が望める

駕籠立場があったとされる場所に鎮座する愛宕神社
屈んで通らなければならないほどの小さな鳥居には宝暦年間の
年号が刻まれていた。

鳥居をくぐって急な階段を上ると小さな石の祠があった。

この祠は、天保七年に再建されたことが刻まれており、
唐津藩主がここを通るのを見ていたのだろう。

祠のすぐ裏は、二丈ゴルフカントリーであった。
街道は現在通っている道ではなく祠の裏側を通っていたというが、
ゴルフ場造成の際に無くなったとみえる。
 

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