<< 糸島の鯛と鯉 | main | 赤い檜の林 高祖宮 >>

スポンサーサイト

  • 2018.06.14 Thursday
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

一定期間更新がないため広告を表示しています


伊能忠敬が記した八幡社

文化九年八月十五日早朝、小雨降る中、前原宿を出発した伊能忠敬は、唐津街道を西へ進んだ。八月十日より本隊の伊能忠敬は西廻りで前原より岐志、芥屋を測量し、別隊の坂部貞兵衛は今宿より西浦、野北を経て芥屋大門の東側の黒い玉石の海岸である黒磯で出会い、五日間かかって糸島半島を測量し終え、前原宿で一宿した後である。
前原宿を出た後は、福岡領と中津領の境である多久川より測量を始め街道を進む。赤坂口留番所を通過し、神在川(長野川)にかかる十二間の土橋を渡って、牧、田中を経て諏訪神社の横を通過して田中村の枝村清水を通って松末村に向かった。
『測量日記』には、この部分に註記がされていた。内容は「清水、右四丁余り奥に字八幡、八幡社あり、近年六部納経すと云う。小社なり」という註である。私はこの八幡社を確かめるべく現地に赴いた。

街道沿いには八幡社の案内石が建っていて、この奥に八幡社があるのだと思った。

この道を進むと、ぐるーっと回って少し先に出た。二度ほど歩いてみたが神社らしき入り口は見つからず、神社はもう無くなったのかとも思った。突き当りほどに車屋さんがあって、そこの方に聞いてみると、奥の藪の中にあるということである。

参道とは思えぬ道を歩いて行くと、山に登っていく階段があり、その先に小堂が現れた。まぎれもなく伊能忠敬が測量日記に記した八幡社であり、忠敬が通行する前に六部納経を行ったという社である。六部納経の事についてはこの社では手掛かりはつかめなかった。六部納経とは、追善供養のため、経文を写して全国六十六州の代表的寺院に納めて歩くのを六十六部納経といい、略して六部納経という。

スポンサーサイト

  • 2018.06.14 Thursday
  • -
  • 19:19
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

コメント
コメントする









calendar
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< September 2018 >>
sponsored links
selected entries
categories
archives
recent comment
recommend
recommend
recommend
recommend
福岡地方史研究 第49号
福岡地方史研究 第49号 (JUGEMレビュー »)

福岡藩主の前原宿泊を所収しています
recommend
recommend
recommend
recommend
recommend
福岡地方史研究 47号
福岡地方史研究 47号 (JUGEMレビュー »)

唐津藩主の前原宿泊を所収しています
recommend
福岡地方史研究〈45〉
福岡地方史研究〈45〉 (JUGEMレビュー »)
福岡地方史研究会
福岡藩旅籠屋屋号帳を所収しています。
recommend
福岡地方史研究〈46〉
福岡地方史研究〈46〉 (JUGEMレビュー »)

福岡藩主のおもてなし作法を所収しています。
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM