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波多江白圭

先日、糸島市内のあるお寺の襖絵を波多江白圭という人物が描いたものであるということを、そこの和尚さんに教えていただいた。波多江白圭について調べてみると、『前原町誌』にその名が確認できた。

波多江白圭(はたえ はっけい) 
天保10(1839)年〜明治35(1902)年
通称、波多江弥吉。二得斎、二得道人とも号す。志摩郡前原の人。二刀流の達人で、戊辰戦争にも従軍し各地を転戦。山水花鳥を得意とし、作品は糸島郡内に残る。死ぬまで帯刀髷姿であったという。64歳で没。

志摩郡前原村という在所と、波多江弥吉という名前から推測して、前原宿に勤務していた下代か口留番所に勤務する関番ではないだろうか?以前、このブログにも書いたが、関番の萩尾可朔や時枝峰雲なども書や絵画に秀でていたという。関番の中には波多江氏が2名おり、この波多江氏が白圭という号で書画を描いていたとしても不思議ではない。落款をみると、波多江白圭は通称を弥吉といい、名を種正という人物であったことも分かった。


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  • 2016.10.30 Sunday
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コメント
ご返答ありがとうございます。別の資料を見ていて気づいたことを。
「波多江地区史料調査報告」(今宿バイパス関係埋蔵文化財報告第六集下巻)のP38に波多江村庄屋又三郎他五名が「吉田専右衛門」に提出した文書があるようです。吉田専右衛門家は二百石(のち百九十石)の馬廻組で、原ノ丁に屋敷を持っていた家系です。実は安政二年五月十九日に大塚伊右衛門が吉田六之丞に与えた二天一流の伝書を見たことがあります。吉田六之丞は吉田専右衛門家の人らしいので、吉田専右衛門家は二天一流を習っていたようです。
あるいはこの当時、吉田専右衛門が波多江村を治めていて、その関係で波多江白圭が二天一流を学ぶことになったのかもしれません。
  • 大林憲司
  • 2015/05/31 10:29 PM
大林様ご連絡ありがとうございます。周防家の資料にあるとは存じませんでした。落款印の文面からすると波多江白圭に間違いないと思います。死ぬまで帯刀髷姿であったという話は和尚さんから地元にいる白圭コレクターの方から聞いたという話しを聞きました。周防家で気付いたのは、説明にもありましたが島定番で糸島の姫島に居たことはその他の資料によっても明らかで、島定番や宿場の御茶屋奉行は馬廻組の藩士が交代で行うので、もしかすると周防氏は前原宿の代官を勤めていた時期があったのかもしれません。となると、周防が前原代官だった時期に波多江白圭は関番で、その時に学んだとも考えられます。資料を教えていただきありがとうございました。
  • arita
  • 2015/05/28 1:03 PM
ご返答ありがとうございます。あれから波多江白圭について新たに判明したこともありますので、お知らせしておきます。
福岡市博物館の平成18(2006)年度収集 収蔵品目録
http://museum.city.fukuoka.jp/archives/collection/pdf/mokuroku_2006_24.pdf
の中に寄贈史料 7.周防憲男資料(追加分)番号28 宮本武蔵像がありますが、その説明に
「六十四翁二得斎圭道人謹誌画(朱印)『波多江種正印』」とあります。この武蔵像は波多江白圭が描いたのではないでしょうか。
もしかすると、波多江白圭は周防家から二天一流を学んだのかもしれません。

それから「死ぬまで帯刀髷姿であった」との記述は『前原町誌』にはないようですが、お寺の和尚様からお聞きになられたのでしょうか?
  • 大林憲司
  • 2015/05/24 11:00 PM
大林様、コメントありがとうございます。波多江白圭については、昭和四年に発行された『前原町誌』に少し書いてある程度なので、ほとんど分かりません。私が推測している波多江白圭の職業である関番は、福岡藩の分限帳(職員名簿)に出てこない現地採用の下級役人ですので、ほとんど資料が残っていません。しかし、ブログにも書いていますが、同じ関番の内、萩尾可朔という人物は、砲術を習いに前原より福岡城下まで通っていたと云われてますので、白圭も城下に習いに行っていたのではないかと推測しています。お役に立てずすみません。御覧いただいてありがとうございました。
  • arita
  • 2015/05/18 12:52 PM
初めまして。私は筑前二天一流について調べているものです。たまたまこのブログに行き着いたのですが、このような人物がいたことを初めて知りました。
ところで波多江白圭がどこで二刀流を習得したのかわかりますでしょうか?江戸後期の福岡藩では立花家、そして福岡の極楽寺町の大塚家と中庄の大塚家で二天一流を伝えてきました。家老格の立花家が教えることはないと思いますので、どちらかの大塚家ではないかと推測しますが、前原から福岡まで習いに行くとなるとかなり遠いようにも感じます。何か情報がありましたら、よろしくお願いします。
  • 大林憲司
  • 2015/05/14 11:44 PM
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