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  • 2016.10.30 Sunday
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姫島紀行1「古写真の場所を探して」

明治30年代を写したと思われる古写真が手元にあり、1枚は野村望東尼旧居跡の石碑、もう一枚は船と鳥居が写っている写真で、おそらく姫島を写したものではないかと考えていました。そして昨日、これらを確かめようとやっと姫島に渡る機会を得ました。今回、姫島に渡った理由は‥臘衄屬量鯊霎廚琉銘屬分かったのでその場所を確かめること。古写真にあった野村望東尼の石碑の状態を確かめること。この2つの事を確かめるべく島に渡ったのでした。,砲弔い討聾綟詳しく書くとして、今回は謎であった古写真が姫島だったことを書いてみます。

まず「野邨望東尼之旧址」の石碑ですが、この石碑は伊藤博文や山縣有朋によって明治35年に建てられたといわれています。この古写真は、他の写真の年代から明治30年代頃に撮影されたものと考えられ、石碑が建てられた直後に写されたものだと考えられます。

今回、実際に現物を見てみると基礎の部分が石積で高くなっており二段目の受け皿までは当時のままですが、基礎の部分は変わっています。当時、基礎石は綺麗に整形された御影石であったのに荒い石積になっています。当時の石は左端に敷地を縁取る石に使われたと思われます。この場所は高所ですが、正面向かって右側に山が迫り左側は空いているのは当時とあまり変わりません。

次に、長らく不明であったこの場所が姫島であったということが分かりました。戦前の郷土史家大熊浅次郎が書いたものに、野邨望東尼を救出するために船をつけた場所は鳥居の前であったことが記され、この写真はまさにその場所から写された写真です。さて、この写真がどこであるのか決め手となったのは鳥居の横の石灯籠でした。

姫島神社の一の鳥居は正面向かって右に灯篭があり左は恵比寿様があります。写真を見てみると右側に石灯籠があり左は灯篭がありません。

そして、灯篭の上にある石の形が同じであり、受け皿の石も同じ形なのでこの写真が姫島神社の一の鳥居であることが分かりました。明治45年にこの地を訪れた戦前の郷土史家 春山育次郎は、この島で望東尼の調査をしたことが『筑紫史談』に書かれています。この写真と同じ風景を見たのでしょう。
 

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  • 2016.10.30 Sunday
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コメント
何年も前から姫島に行ってみたいと思っていました。
福岡市内に住んでいた頃、何度も平尾山荘に行ったことがあって野村望東尼に興味があったりで..。
姫島にいたのは一年間なんですね。。。
  • うらたゆみこ
  • 2015/06/01 12:08 PM
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