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  • 2016.10.30 Sunday
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姫島紀行2「島定番役宅を探す」

島定番とは、福岡藩が領内の離島に置いた役人の事で、浦奉行の支配下にあり福岡藩の中級家臣馬廻組より選任されていた。相島、大島、地島、岩屋、玄海、姫島、小呂島、波止場の8ヶ所に約二名の役人を駐在させ3〜4で交代していた。
以前、私は九州歴史資料館で福岡藩内にあった役人の役宅を描いた平面図綴りを見つけ、その中に糸島の姫島定番役宅が描かれていたが、その役宅が姫島のどこにあったのか調べようと思いつつも資料に出会わず、つい最近まで分からないでいた。しかし先週何気なく『野村望東尼』(花乱社)を手に取りページをめくってみたところ姫島脱獄の図が掲載されていた。その図は昭和15年に『筑紫史談 第76集』で郷土史家大熊浅次郎が発表した「野村望東尼の晩節、姫島流謫脱獄の経路」をもとに作成されており、早速福岡市総合図書館へ行ってその部分をコピーしてきた。

この文を書いた大熊浅次郎は、慶応二年生まれ福岡在住の郷土史家で、郷土史家春山育次郎らの先行研究をもとに脱獄の経路を調査するため、昭和13年に姫島に渡ったことが書いてあり島の平面図も掲載していた。以下、渡海の様子を書いた一文を書き出してみる。
「(春山育次郎は)明治45(1912)年の春同友の中村能道と共に望東尼流謫の処、玄海の一孤島姫島に相渡り、所詮牢居の跡を探討せり、あたかも時の糸島郡町山口良介氏は同郷のよしみあり、郡吏楢崎嘉兵衛を東道たらしめ、望東尼の船路を取りし岐志浦を巡り、轉じて新町に至り舟を艤して姫島に航せり。一夜を同島漁家に明かし隈なく旧跡を見舞い、幸なるかな、尼が姫島日記に名を留めたる「ふじ」と云える島女の未だ現存したる老婆をつかまえて、往年の記憶を聞きただし、その昔日談の数々再び得難く、真に大切なる資料として拾われたるなり」と郷土史家春山育次郎(1866-1930)が明治45年に実際に姫島に渡り望東尼が在島していた時に世話などをした「ふじ」という老婆に会って聞き取りをしている。そして、それから26年後、大熊浅次郎は、「予また遅れながら過ぐる昭和13(1938)年の秋10月9日には交友乾安五郎学士と相伴い糸島郡新町渡海場より発動機船により姫島に航し、先に曩日春山史友探討の跡を捜り、望東尼牢居の遺址を尋ね、江島先生覚の記伝の真相を真證し大いに得るところありたり。」と記している。


そして、それから77年後の平成27年5月31日、私は春山、大熊両先生の探討の跡を捜り、島定番の役宅を探すべく糸島市岐志港より定期船ひめしまに乗船し、姫島にわたることにした。

岐志を後に船が進みだすと筑紫富士とも謳われる可也がきれいに見える。

外海なので海は荒く、ここを船で渡るのはさぞ大変であったと想像する。

やがて姫島が見えてきた

島は南側と西側に集落があるのみで東から北にかけてはそのほとんどが磯になっている。私が行った日も東からの風がかなり強く集落が西側に偏っている理由が少し分かった。西側は芥屋の黒磯と同様の黒い玉石の海岸で、かつて博多聖福寺の住職であった仙涯さんは、この姫島で採れた硯のような自然石を友人からもらい金剛という名をつけてたいそう喜んだという。

まず最初に野村望東尼の獄舎まで行ってみた。細い道を挟んで両側に集落がある
細い道は北に向かって進み所々石垣が積まれている。この写真は、獄舎に向かう途中で撮影したものであるが、この右上に地蔵堂があり、望東尼が救出されて船に向かう途中、姫島で世話をよくした森ミキとばったり会った場所でもある。

そして、集落のはずれのやや小高い場所に獄舎の跡があった。小学5年生の時に近くのおじさんに連れて行ってもらったのが初めてであったが、こんな場所にあったのかと思うほど奥にあった。もっと近くにあったような気がする。この日、下関からわざわざ見に来たという方と一緒になり獄舎跡を見学した。





この建物は獄舎を復元したものかと思いがちであるが、これはお堂とのことである。しかし獄舎を思わせるような錠がかかっていた

獄舎からは遠く唐津の高島や神集島が見えた

獄舎跡から少し浜側に戻ると道が交差する部分がある。望東尼救出の際、救出に来た者の一人の吉野応四郎は、この場所で見張りを行い、その隣の新築中の家からカケヤを持ち出して獄舎のカギを叩き壊したという。ここから山手に上ると通称「岡定番」と呼ばれた定番役宅がある。

姫島に置かれた島定番役宅は二箇所あり、浜部に置かれた方を「濱定番」島の奥に置かれた方を「岡定番」と呼び隔月輪番で勤務していた。江戸後期の姫島定番は、弘化三年十月に桑野喜右衛門(浜定番)が着任し、安政三年四月に周防清六(岡定番)が着任、万延元年十一月に新平ノ進(浜定番)が着任、文久二年九月に小島源五右衛門(浜定番)が着任、そして慶応二年十月に坂田喜左衛門(岡定番)に着任していた。野村望東尼がこの島に流されてきたときの定番は小島と坂田の両名だった。「役宅綴り」に掲載されていた2枚の姫島定番の図には桑野喜右衛門、周防清六と記され、この図は弘化三年から文久二年にかけて描かれたと考えられる。また、驚いたことに浜定番の桑野喜右衛門は、野村望東尼の実弟で姫島で亡くなっていたことも分かった。

図には方位が書かれていないので、建物が敷地内にどのように建っていたか正確には分からないが、玄関の位置や座敷の配置から図の左下の座敷縁側は西向きに海を望めるように建てられていたと推測する。

岡定番役宅跡は、その後小学校の敷地となり、現在は空き地となっている。登り口の部分にある石垣はおそらく当時のものであろう。

そして、敷地の片隅には以外にも「岡定番坂田喜左衛門屋敷跡」と刻まれた石碑があった。定番役宅については近年まで語り継がれていたようだ。望東尼脱獄の際、定番である坂田喜右衛門役宅には救出に来た藤四郎という旧福岡藩士が訪れ坂田と問答を繰り返し、その間に仲間が望東尼を救出したという。

次に浜定番役宅を探すために浜側へ戻る。集落の真ん中の小道が分かれる場所に庚申塔が立っている。この庚申塔を右に進むと奥に姫島神社が鎮座している。この庚申塔は安永四年と刻まれ、定番桑野喜右衛門も野村望東尼もこの庚申塔を見たのであろう。

姫島神社の石段を境に左右に道が分岐しており、右手に進んだところに通称「浜定番」と呼ばれた定番役宅があった。

この図も岡定番同様に方位が分からないため、どのように建っていたか不明であるが、座敷の縁側は南面の浜側を向き、図の右側が敷地の入口であったと推測する。

望東尼が流されてきた際、月番であった小島はこの場所で罪状を読み上げたのだろう。

その跡地は、現在土砂崩れの後に畑となっておりその敷地は見ることはできなくなっているが、この写真の林の部分が定番役宅であった。この役宅は廃藩の後に定番下役であった柴住氏が購入したようで、大熊浅次郎が訪れた際には柴住仙七の宅地となっていた。大熊浅次郎は、この文中に掲載した図について、これは「当時の女傑救出の跡に考え、駆落ちの難易を考察せんと欲し、牢獄の所在と岡定番役宅の所在と立番見張所の想定及び普請中なりしカケヤ取出しの家屋の所在並に望東尼乗船場の位置等を知らんが為め、今糸島郡芥屋村姫島小学校の校長たる柴田新助氏に乞い、現在島の平面見取図制作を煩はし参考に供することとせり」と記し、今となっては非常に貴重な資料である。

姫島から帰ってきた直後は、上記のように姫島小学校が岡定番役宅の跡地だと思っていた。しかし、役宅の場所を正確な地図に落とそうと市役所より白図を購入し、大熊浅次郎が作成した地図を重ねてみたところ、濱定番役宅のあった場所はほぼ間違いないと思うが、岡定番役宅の場所は現在は山となっている部分となってしまう。地図の縮尺の問題かと思ったが、意外にも道の形が合うため、江戸時代には山の斜面に民家が建っていたのではないかと思うようになってきた。問題の小学校の位置であるが、移動したとも考えられるため、再度冬に島に渡って役宅推定地の踏査をし、姫島小学校の位置について検証してみようと思う。






 

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コメント
大林様、去年だったかな?市博で武士の暮らしという展示がありましたが、そこで周防清六使用の床机盤見ました。
  • 有田
  • 2015/06/12 12:15 PM
ご存知だとは思いますが、福岡市博物館の目録の中に面白そうな資料がありましたのでご報告を。
http://museum.city.fukuoka.jp/archives/collection/pdf/mokuroku_2002_20.pdf
平成14(2002)年度収集 収蔵品目録 周防憲男資料 整理番号156に周防清六が姫島定番中に使っていたと思われる将棋盤があります。
周防清六は波の音を聞きながら将棋を指していたのでしょうか。
  • 大林憲司
  • 2015/06/11 11:19 PM
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