<< 六本松越えのルートについて | main | 書いた絵を額装してもらった話 >>

スポンサーサイト

  • 2016.10.30 Sunday
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

一定期間更新がないため広告を表示しています


福岡藩主の西郡巡見

福岡藩の領地であった糸島には、歴代の福岡藩主が領内巡見で訪れました。
今回は、現在人気スポットとして注目を集めている糸島のどの部分を訪れていたのか紹介します。

糸島への巡見は、西郡巡見として行われました。

4代藩主綱政は、歴代藩主の中でも寺社政策に力を入れたことで有名で、桜井神社など領内の寺社へ度々参詣しています。また、6代継高は、雷山に金剛坊(後の大悲王院)を創建してすぐに雷山に登るため糸島を訪れています。

 桜井神社

江戸時代は、興止姫大明神と呼ばれ、慶長15(1611)年の大雨で岩戸が開いたことがきっかけに創建されました。2代藩主忠之はその神威を畏み、寛永年間に本殿・拝殿・楼門など社殿を建立。神宝などを奉納し、その後、宮司家を筑前国中神職の惣司に任命しました。忠之は死後、島岡大明神としてこの神社の祭神に加えられています。以後の歴代藩主の手厚い庇護を受け、藩主が西郡巡見の際には必ず当社を参詣するのが習わしとなっていたようです。
神社には、創建主の2代忠之が寛永年中に奉納したとされる宝物が伝存しています。初代長政が朝鮮出兵の際に晋州城から持ち帰ったと来歴が伝わる寶珠などが含まれ、歴代の福岡藩主は参詣の際、これらの神宝を拝覧していました。殿様が通った桜井の古道は現在「殿様通り」と名付けられています。

楼門

楼門には黒田家の藤巴紋が入ってます。
 

 大口浜

大口海岸は、桜井神社の境内地のひとつで、神社創建当時に2代忠之が寄進した木の鳥居がありましたが、4代綱政がそれを石鳥居に改築したといわれています。この鳥居は津屋崎からわざわざ石材を調達したと伝えられているものです。綱政が寄進した鳥居は昭和5年に倒壊し、現在は根元の部分だけ残っています。

 

西浦の鯛網漁

志摩郡の北端に位置する西浦は、古来より鯛網漁で有名な浦です。当地での鯛網漁の始まりは元文2(1738)年とされ、安永2(1778)年より明治期にいたるまで黒田家に鯛を献上したとされています。鯛網の漁法は、古来は地引網でしたが、明治期になって揚操網へと変わりました。
 

大祖神社

芥屋大門脇に位置し、創立年代は不詳ですが、承和元(834)年奉献銘のある石灯籠、文明13(1481)年の社殿再建の棟札などがあったとの記録があり、古社であったことが伺えます。

 塩土神社

芥屋の集落内にあり、塩土翁と大山咋神を祀っています。宝暦4(1754)年、芥屋村の柴田氏妻女が神懸りし、占いがよく当たるということで評判となり小祠が建立されました。特に農作の病害虫守り札受けに郡内外から多数の参詣があったといわれています。天明5(1785)年に九代藩主斎隆が奉行の花房佐兵衛に命じて御供米を寄進し、その後、寛政6(1794)年に自らも参詣しています。

 大庄屋鎌田家

江戸時代初期より志摩郡の西部分にあたる御床触の大庄屋をつとめていました。同家には4代綱政や10代斎清が立ち寄って休憩したと伝えられ、煙草入れや茶碗など黒田家より拝領した文物が伝来しています。
 

六所神社

江戸時代は志摩郡の総社で、樹齢800年の大楠があることで有名です。戦国時代に兵乱で荒廃していましたが、慶安3(1650)年に2代忠之が社殿を再建し、次いで貞享3(1686)年に3台光之、元禄16(1703)年に4代綱政が補修したといわれています。

 志登神社

延喜式神名帳に記載された糸島唯一の式内社です。元禄3(1690)年に光之が社殿を再建しており、宝永4(1707)年に4代綱政、享保2(1717)年に5代宣政が石鳥居を建立しています。

 染井神社

染井神社は、熊野権現社と呼ばれ、熊野三神や豊玉姫、神功皇后を祀っています。境内地に神功皇后伝承にまつわる染井の井戸や鎧掛松があり、怡土七ヶ寺の一つである染井山霊鷲寺の故地としても知られている場所です。染井の井戸には、寛延4(1751)年に郡奉行永田清十郎が石鳥居や玉垣を寄進し、6代継高は、染井井戸の神水を汲んで「濁りなく昔をうつす鏡とはけふぞ初て三染井の水」との歌を詠んだといわれています。

 如意輪観音堂

現在の高祖如意にある日蓮宗妙立寺は、寛永11(1634)年に日芳和尚により創建されましたが、それ以前に如意輪観音を本尊とする如意寺があったといわれています。観音堂の下には貝原益軒により名付けられた「動響ノ滝」と名付けられた滝があり、九代斎隆は寛政6(1794)年にこの滝を見に当地に立ち寄っています。
 

 

高祖神社

怡土郡の郡社で、彦火々出見尊、玉依姫、神功皇后を祀っています。寛文2(1662)年に3代光之が社殿を補修し、元禄6(1693)4代綱政が石鳥居を寄進、後に参道を補修しています。

 金龍寺

太祖山金龍寺は、永正5(1808)年に高祖城城主の原田氏によって創建され、原田家代々の菩提寺となってきた寺です。慶長16(1611)年、社地を福岡荒戸山に移すことになりましたが、旧地にも残され今日に至っています。金龍寺には、初代長政の次男で怡土郡内に1万石を与えられて井原村に居住していた黒田甚四郎政冬の墓所があります。

大悲王院

雷山には清賀上人建立とされる雷山千如寺があり、中世には多くの僧坊がありましたが江戸時代には仲之坊など3坊を残すのみとなっていました。宝暦3(1758)年、6代継高が金剛坊(後の大悲王院)とを開創し、本堂や書院を整備し再興されました。

雷神社

現在の雷神社境内は、もともと雷山中宮跡であり、雷山全体の中心であったと考えられる場所です。雷山の社寺は6代継高によって宝暦年間に再興されました。現在、雷山上宮跡にある石祠はいずれも宝暦3(1758)年に継高が建立したものです。継高は、雷山が再興されて間もない宝暦5(1775)年に同地を訪れ、自らが命じて整備した雷山の社寺を見学しています。

糸島の名産品

明和8(1771)年に7代藩主治之が前原宿に宿泊した時、隠居していた父継高のもとへワラビやウドなどの山菜やシジミ貝を贈った記録があります。特に雷山川河口で採れるシジミ貝は前原宿で休憩した幕府役人にも献上された記録があり、このあたりの名産であったことが伺えます。


※内容は、2014年に志摩歴史資料館で開催された展示会の内容を引用しています。


スポンサーサイト

  • 2016.10.30 Sunday
  • -
  • 13:16
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

コメント
コメントする









calendar
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>
sponsored links
selected entries
categories
archives
recent comment
recommend
recommend
recommend
recommend
福岡地方史研究 第49号
福岡地方史研究 第49号 (JUGEMレビュー »)

福岡藩主の前原宿泊を所収しています
recommend
recommend
recommend
recommend
recommend
福岡地方史研究 47号
福岡地方史研究 47号 (JUGEMレビュー »)

唐津藩主の前原宿泊を所収しています
recommend
福岡地方史研究〈45〉
福岡地方史研究〈45〉 (JUGEMレビュー »)
福岡地方史研究会
福岡藩旅籠屋屋号帳を所収しています。
recommend
福岡地方史研究〈46〉
福岡地方史研究〈46〉 (JUGEMレビュー »)

福岡藩主のおもてなし作法を所収しています。
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM