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湯太夫 小浜・雲仙紀行

江戸時代、筑前福岡藩内にあった御笠郡武蔵温泉(現在の二日市温泉)は、黒田家の中老(家老になる資格を持つ家)立花勘左衛門の知行地にあり、陪臣(藩主の家臣の家臣)を湯奉行または温泉奉行として管理させていた。
長崎県にある小浜温泉にも同じような温泉の管理者が居たことを知ったので少しまとめてみたい。

小浜温泉は、島原半島の西側にあり、山がそのまま海に入りこんだ地形で、平野はほとんどない。

藩の居城である島原城からは、普賢岳を隔てた反対側にある。
それでも藩主は度々小浜温泉に入浴に来たようで、城を出て南へ(原城方面)下り、山越えして小浜へ行ったり、長崎警備の行き帰りに立ち寄ったという。

この温泉の管理を任されていたのは本多家である。
本多家は、慶長19(1614)年に島原藩主松倉氏に従って三河国から来たといい、藩主より湯太夫として代々温泉の管理を任されていたという。現在は小浜歴史民俗資料館となっている場所が湯太夫の館跡である。

明治になって島原城から買い取ったという長屋門をくぐると、蒸気が高い櫓からもくもくと上がる光景を目にした。これが、小浜温泉の元湯で、ここから各湯壺に温泉を引いていた。この管理をしていたのが湯太夫であった。

現在は資料館として整備されている本多湯太夫の屋敷

まるで城を思わせるような高く立派な石垣。屋敷の前に豊後湯という場所があった。なぜ豊後なのか分からなかったが、ガイドの方に聞くと、入浴中に急死した島原藩主松倉重政の官職が豊後守だったから、その場所を豊後湯と呼んだそうだ。

小浜温泉と雲仙温泉は車で20分程の距離にある。明治になって外国人が多く訪れるようになり、雲仙は避暑地として利用された。その際、利用されたのがチェア駕籠と呼ばれる椅子式の駕籠であった。雲仙に登る途中に駕籠立場があった。

雲仙には加藤氏が藩より雲仙湯守を仰せつけられて管理していたという。

また、現在は廃線となっているが、小浜温泉まで鉄道が通っていた時期があった。
この鉄道の開通によって小浜温泉には多くの人が訪れるようになった。

現在でも駅の跡や

細い切通の跡がそのまま残っている。

小浜温泉へ向かう列車からはこのような光景が見えたのだろう。



 

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